主日礼拝(第四アドベント)2016/12/18

2016年12月18日(日)午前10時30分~

説教;「つまずきを乗り越えて」
中村静郎牧師
 


聖書:  使徒言行録28章1〜27節

讃美歌21

83(聖なるかな)
4(世にあるかぎりの)
252(羊はねむれり)
531(主イェスこそわが望み)
29(天のみ民も)

新約聖書(新共同訳)より
聖書: 使徒言行録28章1〜27節

わたしたちが助かったとき、この島がマルタと呼ばれていることが分かった。

島の住民は大変親切にしてくれた。

降る雨と寒さをしのぐためにたき火をたいて、わたしたち一同をもてなしてくれたのである。

パウロが一束の枯れ枝を集めて火にくべると、一匹の蝮(まむし)が熱気のために出て来て、その手に絡みついた。

住民は彼の手にぶら下がっているこの生き物を見て、互いに言った。

「この人はきっと人殺しにちがいない。海では助かったが、『正義の女神』はこの人を生かしておかないのだ。」

ところが、パウロはその生き物を火の中に振り落とし、何の害も受けなかった。

体がはれ上がるか、あるいは急に倒れて死ぬだろうと、彼らはパウロの様子をうかがっていた。

しかし、いつまでたっても何も起こらないのを見て、考えを変え、「この人は神様だ」と言った。

さて、この場所の近くに、島の長官でプブリウスという人の所有地があった。

彼はわたしたちを歓迎して、三日間、手厚くもてなしてくれた。

ときに、プブリウスの父親が熱病と下痢で床についていたので、パウロはその家に行って祈り、手を置いていやした。

このことがあったので、島のほかの病人たちもやって来て、いやしてもらった。

それで、彼らはわたしたちに深く敬意を表し、船出のときには、わたしたちに必要な物を持って来てくれた。

三か月後、わたしたちは、この島で冬を越していたアレクサンドリアの船に乗って出航した。

ディオスクロイを船印とする船であった。

わたしたちは、シラクサに寄港して三日間そこに滞在し、ここから海岸沿いに進み、レギオンに着いた。

一日たつと、南風が吹いて来たので、二日でプテオリに入港した。

わたしたちはそこで兄弟たちを見つけ、請われるままに七日間滞在した。

こうして、わたしたちはローマに着いた。

ローマからは、兄弟たちがわたしたちのことを聞き伝えて、アピイフォルムとトレス・タベルネまで迎えに来てくれた。

パウロは彼らを見て、神に感謝し、勇気づけられた。

わたしたちがローマに入ったとき、パウロは番兵を一人つけられたが、自分だけで住むことを許された。

三日の後、パウロはおもだったユダヤ人たちを招いた。

彼らが集まって来たとき、こう言った。

「兄弟たち、わたしは、民に対しても先祖の慣習に対しても、背くようなことは何一つしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に引き渡されてしまいました。

ローマ人はわたしを取り調べたのですが、死刑に相当する理由が何も無かったので、釈放しようと思ったのです。

しかし、ユダヤ人たちが反対したので、わたしは皇帝に上訴せざるをえませんでした。

これは、決して同胞を告発するためではありません。

だからこそ、お会いして話し合いたいと、あなたがたにお願いしたのです。

イスラエルが希望していることのために、わたしはこのように鎖でつながれているのです。」

すると、ユダヤ人たちが言った。

「私どもは、あなたのことについてユダヤ人から何の書面も受け取ってはおりませんし、また、ここに来た兄弟のだれ一人として、あなたについて何か悪いことを報告したことも、話したこともありませんでした。

あなたの考えておられることを、直接お聞きしたい。

この分派については、至るところで反対があることを耳にしているのです。」

そこで、ユダヤ人たちは日を決めて、大勢でパウロの宿舎にやって来た。

パウロは、朝から晩まで説明を続けた。

神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しようとしたのである。

ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはしなかった。

彼らが互いに意見が一致しないまま、立ち去ろうとしたとき、パウロはひと言次のように言った。

「聖霊は、預言者イザヤを通して、実に正しくあなたがたの先祖に、語られました。

『この民のところへ行って言え。

あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、
見るには見るが、決して認めない。

この民の心は鈍り、
耳は遠くなり、
目は閉じてしまった。

こうして、彼らは目で見ることなく、
耳で聞くことなく、
心で理解せず、立ち帰らない。

わたしは彼らをいやさない。』

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