イースターによせて2016/03/13




■イースターとは?


「イースター」とは、イエス・キリストが十字架につけられ、死後3日目によみがえられた日(日曜日)を記念して、世界中でお祝いするキリスト教徒の祝日です。

「復活祭」ともいわれます。

現在、世界のほとんどの国が、日曜日を主の日、復活の日として聖日(休日)としています。

イースターの日は毎年変わります。

「春分の日の後の、最初の満月から数えて、最初の日曜日」と定められているからです。

これは紀元(AD)325年に開かれた二カイア公会議という世界教会会議で定められたもので、今年(2016年)のイースターは3月27日になります。


■イースターエッグとは?

イースターを祝う飾りには、よく卵が用いられます。

それは、卵は生命の始まりであり、イエス・キリストが死という殻を破って蘇った、ということを象徴する物とされているからです。

日曜学校では、卵を装飾したりして、卵をいただきます。そして、命の大切さを学びます。



■なぜイースターをお祝いするの?

イエスはいわれた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じるものは、たとい死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(聖書:ヨハネによる福音書11章25-26節)


全ての人は死から逃れることはできません。

私たちは被造物であり、神によって造られたものです(創世記1章)。

ゆえに生まれる時も、死ぬ時も、自分で自由に時を決めるわけにはいきません。

私たちは、造り主なる神の存在を知り、神から愛されている子どもであることを自覚し、その事を知らなかったことを、悔い改める時、罪はイエス・キリストを通して天の父の元で取り除かれるのです。

そして悔い改め、罪が赦されるためには、このキリストの十字架の死による贖い(あがない)しかないのです。

そこに神の大きな愛を人類は知りました。天地創造の父なる神の愛です。

神の子イエスを信じることにおいて、主イエスは私達を救ってくださり、新しい衣をきせ、生きることを許してくださいました。

人の罪を赦す事ができるのは唯一人、イエス・キリストしかいません。

こうして私たちが、罪赦されて自由の身になるということは、どれほど嬉しく感謝なことでしょう!

新しい自分に目覚め、主イエス・キリストとの交わりができるのです。卵から新しい命が生まれるように…。

だから、おめでとう。あなたも、私も神の子イエスによって新しくされたのですから、お祝いするのです。

イースターおめでとう!と。




どうぞ死に勝利して蘇られたイエス様を信じて、聖書を学んでください。

聖書は神の言葉であり、人が如何に生きるべきかを尋ね、示しています。

神の子イエス・キリストを信じる時、いつも私たちと共にいてくださり、私たちの生きる道を教えてくださいます。

今日、あなたが神の子イエス・キリストの導きにより、教会の主の日の礼拝に出席され、新しく生まれ変わられますようにと祈ります。

おいでをお待ちしています。

イースター礼拝
2016年3月27日(日)
午前10時30分~
日本キリスト教会 福井宝永教会


説教:「イエスの復活」
中村静郎牧師

聖書:使徒言行録 2章29節-36節

讃美歌21
83、12、325、327、513、29

聖書と讃美歌は教会に用意があります。
どなたでもお越しください。

*日曜学校(3歳~中学生対象)は午前9時30分~です。

主日礼拝2016/03/13

2016年3月13日(日)午前10時30分~

説教 「サウロの回心」
中村静郎牧師

[音声再生]
↑クリックすると礼拝説教の音声が再生されます(約55分)

聖書 使徒言行録9章1節~19節

讃美歌(各讃美歌の番号をクリックするとパイプオルガンの奏楽が流れます。宝永教会では「讃美歌21」を使用しています。)

83(聖なるかな)
10(今こそ人みな)
311(血しおしたたる)
313(愛するイェス)
29(天のみ民も)


新約聖書(新共同訳)より
使徒言行録9章1節~19節

さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。

それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。

ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。

サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。

「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。

「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。

起きて町に入れ。

そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」

同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。

サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。

人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。

サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。

ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた 。

幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。

すると、主は言われた。

「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。

今、彼は祈っている。

アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」

しかし、アナニアは答えた。

「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。

ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」

すると、主は言われた。

「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。

わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」

そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。

「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」

すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。

そこで、身を起こして洗礼(バプテスマ)を受け、食事をして元気を取り戻した。