主日礼拝 ― 2016/03/06
説教 「フィリポとエチオピアの高官」
中村静郎牧師
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聖書 使徒言行録8章26節~40節
讃美歌(各讃美歌の番号をクリックするとパイプオルガンの奏楽が流れます。宝永教会では「讃美歌21」を使用しています。)
83(聖なるかな)
9(わが身にたまいし)
401(しもべらよ、み声きけ)
402(いともとうとき)
513(主は命を)
29(天のみ民も)

新約聖書(新共同訳)より
使徒言行録8章26節~40節
さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向い、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。
そこは寂しい道である。
フィリポはすぐ出かけて行った。
折りから、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理していたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、帰る途中であった。
彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。
すると、”霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。
フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。
宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。
彼が朗読していた聖書の箇所はこれである。
「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。
毛を刈る者の前で黙している小羊のように、
口を開かない。
卑しめられて、その裁きも行われなかった。
だれが、その子孫について語れるだろう。
彼の命は地上から取り去られるからだ。」
宦官はフィリポに言った。
「どうぞ教えてください。
預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。
自分についてですか。
だれかほかの人についてですか。」
そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの箇所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。
道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。
宦官は言った。
「ここに水があります。
洗礼(バプテスマ)を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」
そして、車を止めさせた。
フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼(バプテスマ)を授けた。
彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。
宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。
フィリポはアザトに姿を現した。
そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。
イースターによせて ― 2016/03/13

「イースター」とは、イエス・キリストが十字架につけられ、死後3日目によみがえられた日(日曜日)を記念して、世界中でお祝いするキリスト教徒の祝日です。
「復活祭」ともいわれます。
現在、世界のほとんどの国が、日曜日を主の日、復活の日として聖日(休日)としています。
イースターの日は毎年変わります。
「春分の日の後の、最初の満月から数えて、最初の日曜日」と定められているからです。
これは紀元(AD)325年に開かれた二カイア公会議という世界教会会議で定められたもので、今年(2016年)のイースターは3月27日になります。
イースターを祝う飾りには、よく卵が用いられます。
それは、卵は生命の始まりであり、イエス・キリストが死という殻を破って蘇った、ということを象徴する物とされているからです。
日曜学校では、卵を装飾したりして、卵をいただきます。そして、命の大切さを学びます。
イエスはいわれた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じるものは、たとい死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(聖書:ヨハネによる福音書11章25-26節)
全ての人は死から逃れることはできません。
私たちは被造物であり、神によって造られたものです(創世記1章)。
ゆえに生まれる時も、死ぬ時も、自分で自由に時を決めるわけにはいきません。
私たちは、造り主なる神の存在を知り、神から愛されている子どもであることを自覚し、その事を知らなかったことを、悔い改める時、罪はイエス・キリストを通して天の父の元で取り除かれるのです。
そして悔い改め、罪が赦されるためには、このキリストの十字架の死による贖い(あがない)しかないのです。
そこに神の大きな愛を人類は知りました。天地創造の父なる神の愛です。
神の子イエスを信じることにおいて、主イエスは私達を救ってくださり、新しい衣をきせ、生きることを許してくださいました。
人の罪を赦す事ができるのは唯一人、イエス・キリストしかいません。
こうして私たちが、罪赦されて自由の身になるということは、どれほど嬉しく感謝なことでしょう!
新しい自分に目覚め、主イエス・キリストとの交わりができるのです。卵から新しい命が生まれるように…。
だから、おめでとう。あなたも、私も神の子イエスによって新しくされたのですから、お祝いするのです。
イースターおめでとう!と。

聖書は神の言葉であり、人が如何に生きるべきかを尋ね、示しています。
神の子イエス・キリストを信じる時、いつも私たちと共にいてくださり、私たちの生きる道を教えてくださいます。
今日、あなたが神の子イエス・キリストの導きにより、教会の主の日の礼拝に出席され、新しく生まれ変わられますようにと祈ります。
おいでをお待ちしています。
説教:「イエスの復活」
中村静郎牧師
聖書:使徒言行録 2章29節-36節
讃美歌21
83、12、325、327、513、29
主日礼拝 ― 2016/03/13
説教 「サウロの回心」
中村静郎牧師
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聖書 使徒言行録9章1節~19節
讃美歌(各讃美歌の番号をクリックするとパイプオルガンの奏楽が流れます。宝永教会では「讃美歌21」を使用しています。)
83(聖なるかな)
10(今こそ人みな)
311(血しおしたたる)
313(愛するイェス)
29(天のみ民も)

新約聖書(新共同訳)より
使徒言行録9章1節~19節
さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。
それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。
ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。
サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。
「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
起きて町に入れ。
そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」
同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。
サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。
人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。
サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。
ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた
。
幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。
すると、主は言われた。
「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。
今、彼は祈っている。
アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」
しかし、アナニアは答えた。
「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。
ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」
すると、主は言われた。
「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。
わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」
そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。
「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」
すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。
そこで、身を起こして洗礼(バプテスマ)を受け、食事をして元気を取り戻した。
主日礼拝 ― 2016/03/20
説教 「サウロ、福音を告げ知らせる」
中村静郎牧師
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聖書: 使徒言行録9章19節後半〜25節
讃美歌(各讃美歌の番号をクリックするとパイプオルガンの奏楽が流れます。宝永教会では「讃美歌21」を使用しています。)
83(聖なるかな)
11(感謝にみちて)
297(栄えの主イェスの)
298(ああ主は誰がため)
29(天のみ民も)

新約聖書(新共同訳)より
使徒言行録9章19節後半~25節
サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。
これを聞いた人々は皆、非常に驚いて言った。
「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか。」
しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。
かなりの日数がたって、ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんだが、この陰謀はサウロの知るところとなった。
しかし、ユダヤ人は彼を殺そうと、昼も夜も町の門で見張っていた。
そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろした。
イースター礼拝 ― 2016/03/27
説教 「イエスの復活」
中村静郎牧師
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↑クリックすると礼拝説教の音声が再生されます(説教49分+讃美歌2分)
聖書 使徒言行録2章29~36節
讃美歌(各讃美歌の番号をクリックするとパイプオルガンの奏楽が流れます。宝永教会では「讃美歌21」を使用しています。)
83(聖なるかな)
12(とうときわが神よ)
325(キリスト・イェスは)
327(すべての民よ、よろこべ)
513(主は命を)
29(天のみ民も)

新約聖書(新共同訳)より
使徒言行録2章29節~36節
兄弟たち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今でもわたしたちのところにあると、はっきり言えます。
ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。
そして、キリストの復活について前もって知り、『彼は陰府に捨てておかれず、
その体は朽ち果てることがない』
と語りました。
神はこのイエスを復活させられたのです。
わたしたちは皆、そのことの証人です。
それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。
あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。
ダビデは天に昇りませんでしたが、彼自身こう言っています。
『主は、わたしの主にお告げになった。
「わたしの右の座に着け。
わたしがあなたの敵を
あなたの足台とするときまで。」』
だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。
あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」